べんきょうできないことの証明

きょうみあることをします

プロローグ

2016年6月のあの頃、髪がふさふさとあったのにもかからわず、以前ほど人に興味がもてなくなっていました。そしてその分、時間が生まれるのと同時に新しいことをやってみたくなりました。しかも、いくつもの新しいことをです。絵がかけるようになりたかったり、英語がぺらぺらに話せるようになりたかったり、常に新しい場所に身を置こうと志を立てていました。けれども心のなかで思い続けるばかりで幾日か過ぎ、遠方の沖縄ではいち早く梅雨が終わったというニュースを伝えていました。

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暑さは日ごとに増し初夏の生暖かく湿った風がほてった頬に感じられる蒸し暑い日々が続いてるなか、abemaTVなるサービスがはじまって以来、数ヶ月たち、気がついけばあの頃、僕のネットライフは大満足で、「あれ、あれれ、あれ、お、僕そういえばちょい前に、な、何か決心してなかったっけ?ん?ん?」と記憶の彼方に数日前のあらゆる決心が、一瞬だけ頭によぎる程度にだけ感じていました。このような性格のため、勉強は小学校からすでに『びっくりするぐらいまったく』できませんでした。いつも最後まで同じメンツの二人が残され、僕が最後の一人になると、おしっこがしたくなるような悔しさや恐怖といった得体のしれぬ感情がこみ上げてきて、教室に差し込む夕日と薄暗い教室の時計を見て悲しくなり、そんな重苦しい気持ちを鼻くそほじって人の机や椅子に擦り付けて、「僕ばかりいつもなんで残されるんだろう。。。、なんなんだろう。。。」という心持ちを悪辣な行為で、虚しさをごまかしていました。小学一年で誰もいない教室に一人きりになり、なんども書いたり消したりを繰り返してくたびれたテスト用紙をやっと提出し終えて、防災無線から流れてくるドボルザーク新世界より」第二楽章の「家路」が聴こえてくる時間には、親に遅くなった理由を聞かれるのが嫌で慌てて帰宅していました。

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それから随分と日が経ったあの頃2016年の6月は、冒頭述べているような心持ちをただ確認したかったのです。だからAmazonランキングを見て本を大量購入していました。そしてこれからじっくりそれらを書評していきたいと思っていました。買った本すべてを書評できたとき、子供の頃の僕と和解ができるとさえ思っていました。あの頃は特に弱い部分から切れていった鎖を繋げておきたかった気持ちが強かったのです。